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2017年11月 5日 (日)

苦しい 

こんにちはぁ~

岐阜県めっちゃ良い天気子ども達は9時前からお祭り行っちゃったからのぉ~んびり洗濯まわしまくってる


昨日は久しぶりにお姉ちゃん、旦那さん、姪っ子が岐阜にきてくれて充実した1日だったけど夕方から胸が苦しくてくるしくて…

息を吸ってるんだけど酸素が足りない感じが強すぎて、普通に呼吸ができてない?酸素が足りないって感じなのか、夕ご飯も休み休み作ってかなり手抜き…

旦那さんは作ろうって気持ちだけで十分て言ってくれたけど

旦那さんに注意?された。

もっと自分を大切にしてほしいってよく言われるけど、自分がもう少し大丈夫、大丈夫と思ってやってることも無理してることもあるんじゃないって。私を見てていつも心配なんだって言われた

落ち着きもないしね!笑

もっとのんびり過ごしててほしいって…

こんなにも怠け者なのに!?

何もしない日があっても心と体では感じ方も違う…とかいろいろ言ってた。うーん。旦那さん難しい話になっちゃって…(思いが強いから語るかたる)ありがたい事だね。

記憶力低下してる私にはちんぷんかんぷんだす。


頼りにならんけど俺に出来ることは何でもするからと言ってもらえ、いつもありがとうの気持ちを伝えた。

当たり前と思わず、お互いにいたわり合って気持ちを伝えるって大事だね

価値観は違う部分はあるからカチンとお互いになる事もあるけどー笑

仕方ない!と割り切れるようになってきた!

ちっとは大人になったなー!わ た し!笑

お化粧して、旦那さんと出かけてこよ~


今もまだ苦しさがあるけどゆったりした気持ちで1日過ごそうと思いまーす

外は気持ちいいぞっ


旦那さんの両親からのお土産はめっちゃ美味しいリンゴとしいたけ、カボチャ、大量のピーマン!笑

それと飛騨かりんとう


昴林ってリンゴめっちゃうんまーぃ

いつもありがとう

最近テレビでよく見る1.3㍉の紙で作ってる折り鶴を旦那さんとつくってみた!笑
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旦那さんが左側、私が右
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旦那さんは羽を広げるところで力強すぎて破れたみたいw


入院中作ってたチョコの包み紙の鶴サイズなら簡単なのになー!1.3㍉の折り鶴はもうつくらないよぉ~笑
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私にも作れたってだけでもう満足したのでした


2012年11月4日
『余命宣告』

金曜日、午前中は用事ででかけ帰宅してご飯を食べてから子供達が帰ってくるまで病院に居ようと思い実家に寄ってから病院に向かっていた。

途中、携帯を見たらお母さんからメールがきていた。6時に病院にこれますか?先生から話があるので。と書かれていた。

三時前に病院に着き、病室に入りお母さんのベッドに向かった。ビックリした。先月末に緊急入院して少しだけ食べたりできていたが、胃にたまってる状態で胃がパンパンになっていて吐き気がきていたらしく、金曜日の午前中に胃カメラをやり鼻から管を飲み込み胃まで送り胃にたまってる物を出す事をしていた。

お母さんは辛かった。と疲れていた。

頑張ったね。と声をかけ側にいたら主治医の先生、看護婦さんが入れ替わりきて、食事、水分もとれない状態なので治療法がかわります。詳しく今話してもいいですか?と言われたがお母さんがみんなが来てからお願いします。と言ったので簡単に話を聞き、詳しくはみんなで聞いた。

水分もとれない状態になり、抗がん剤も痛み止めも飲めなくなってしまった。少し落ち着いた頃、看護婦さんがきて医療麻薬(モルヒネ)の投与を皮下注で始めます。痛みを感じたら早送りをする事ができるし、状態をみながら量を計りパッチタイプの痛み止めにしましようと言われた

お母さんが入院して抗がん剤を始める前に、いずれ食べれなくなる時がくるのでポートを入れた方がいいと言われ軽手術をしていた。そこから高カロリーの点滴も同時に始まり、先週の外来の後に一緒にランチできたのに。こんなに早く食べれなくなるの?と怖かった。


お母さんの入院を聞き、お姉ちゃんが次の日に着てくれ主治医の先生からの話を一緒に聞くことができてよかった。


お母さんは偉いからと休んでいたため、おばちゃんの三人で話を聞いた。

お母さんの癌宣告があってから2ヶ月。お母さんの癌はかなり進行していた。

外来のときの血液検査で腫瘍マーカーは下がっていたから、一回目の治療が終わり退院してからは食欲もでてきて元気もあったからお母さんも私も抗がん剤が効いていると思っていたのに。

8月の宣告の時には聞いていなかった、多発骨転移、腹水もたまってきている。スキルス胃癌はかなりのスピードで進行し、十二指腸まで癌が進行、胃の腫瘍によって幽門狭窄(腸への出口が狭くなっている状態)になり胃に食べたものがたまった状態になりお母さんは苦しんでいました。ステージ4の中でも悪い方にはいっていますと、胃カメラの映像、CTの映像もみながら詳しく説明され、今の状態では食事も水分も内服薬もダメになっためTS-1とシスプラチンでの抗がん剤治療ができませんとはっきり言われた。
癌宣告があってから、先生から何回か話を聞いていたけど、初めて余命の言葉が出た時、自分の胸の鼓動がきこえてくるくらい胸がドキドキして呼吸をしているのが苦しかった。

先生はゆっくり話をしてくれ、私達の話も聞いてくれた。お母さんの状態で他の抗がん剤治療をして2,3ヶ月。なにもしなかったら1,2ヶ月と余命宣告された。 

緩和ケアの話もされ、面談に1ヶ月待ちで予約が必要で空きをまっている人がいっぱいなのも知らされ、すぐには答がたせないので家族で話し合って下さいと言われた。

余命宣告をされた事はお母さんには伝えないでくださいと先生にお願いし、面談室での話は終わった。

それからいろんな事があった。

子供達は旦那の両親に預かってもらい、お姉ちゃんと実家に帰りいろいろ話した。
土曜日は昼ご飯を早めに食べ先に病院へいきお母さんの足のマッサージなどをしてのんびりした時間をすごした。お母さんには先生から聞いた事を隠さず話した方がいい?と聞いてから、骨転移、腹水がたまってきてる事、胃の癌が進行して十二指腸にきてる事で食べれなくなった事など今の病院じゃなく転院したほうがいいことなど話した。どうやって伝えたらいいか悩み、私から伝えるのがすごく辛く苦しかった。

土曜日の夜に子供達とお風呂に入り、大好きなばあちゃんの今の状態を隠さずはなし、泣き崩れる下の子と我慢しながらも泣いている上の子を抱き寄せ三人で泣いた。いろいろ三人でもはなした。

日曜日は延期になって子供達が楽しみにしていた祭りに参加してから三人で病院へいき、お姉ちゃん夫婦、姪っ子も来て賑やかでお母さんも昨日よりも話すことができ楽しそうですごく嬉しかった。こんな日が続けばいいのに!!


私にとってお母さんの存在が大きすぎて受け止めているのか、受け止めれてないかはわからない。

双子の妹の死が私には大きすぎ、私が入院中で亡くなった事も知らされず最後のお別れもできないまま。9年間生活してきて、何度か妹の所にいけたらな。楽になりたいな。と考えた事もあったけど今まで頑張ってこれたのはお母さん、お姉ちゃん、子供達、旦那、旦那の両親、仕事仲間などいっぱいの人達が支えてくれて今の自分があるんだと、人間は1人では生きていけないし私を必要としてくれる家族、お母さん、お姉ちゃんにこれ以上辛い思いはさせちゃダメだと頑張ってきた。


お母さんがいなくなったら私はやっていく自信がない。怖い。

考えたくもない。


でも現実を受け止めて、お母さんが望むようにこれからの事を話し合っていかなきゃだめなんだよね。

今年いっぱい生きていられないかもしれない。

何をしたらいいんだろう。


仕事も辞めてお母さんの側にいたい。できる事なら何も考えたくないし何もしたくない。

月曜日は仕事をしてから病院へいき、これからの事を相談し、緩和ケアの予約をしてこよう。

仕事も必要としてくれているので、店長に自分の気持ちを伝え休ませてもらえるようにできたらなぁ。。。

お母さんと一緒に。いられたらいいのに。


お母さんの闘病を書いてたブログにも生きる意味を書いてる


ずーっと必死で生きてきた


まだまだ負けてらんないのだ。

私は生きるよ


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